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ペルシャ絨毯直輸入専門店 タクテジャムシッドカーペットギャラリー

ペルシャ絨毯について

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ペルシャ絨毯を知る

ペルシャ絨毯とは

イラン各産地で織られている絨毯には、それぞれ独特の紋様やモチーフに込められた人々の憧れ、願い(生命の源・楽園・豊穣など)が表現されています。色彩においても様々な意味合いを持ち現代に受け継がれ、織り上げられています。

デザイン

各地方、部族には古くから、その地域独特の紋様・色調が代々受け継がれて今日まで伝えられています。

下絵

方眼紙にフリーハンドでデザインの輪郭を描き、その上に色付けしていきます。 織り職人はこれを元に丹念に見事な図柄を織り上げていきます。

染色

描かれた図案によって使用する色糸の量が割り出された、 葡萄の葉、石榴の皮、藍、茜など、天然の材料から様々な色が染め上げられます。

結び

しっかりと張った前後の二本の縦糸に、下絵(デザイン画)の一升目ごとの色糸を一つ一つ結び、絨毯の毛足(パイル)を作っていく作業です。
この結び方はダブルノットと呼ばれペルシャ結びとトルコ結びの2つの方法があり、産地ごとに異なります。
結び目が小さいほど繊細な図柄が表現できますが、時間もまたかかります。一枚の絨毯を作るのに長い時間を費やします。

※動画に関してはこちらへ。→動画

ペルシャ絨毯の歴史

ペルシャ絨毯の起源は、ギリシア神話や聖書によると4000~5000年前といわれています。
その起源は、アケメネス朝ペルシャとされています。現在では、1949年にアルタイ山脈中のパジリーク峡谷で最古の絨毯といわれる「パジリークの絨毯」が発掘されたことで、約紀元前500年前には、確実に存在していたことが証明されました。

現在のイランの地に最初に住み着いたのは、「アーリア民族」といわれています。
アーリア民族は、紀元前2000年頃に南ロシアやバルカン半島、カルパチア山脈などから、イラン高原を南下し、今のイランに住み着いたとされています。

紀元前6世紀頃、南下して、ファールス地方に侵入し、当時その周辺に住み着いていた異民族を次々と征服し、アーリア民族の最初の帝国を築いたのがペルシャ人でした。この帝国がアケメネス朝ペルシャです。 遊牧民的な色彩の強いこの帝国は、オアシスに定着して、都市を建設し、帝国を築き上げたのです。紀元前6世紀末には、ダリウス一世によって、ペルセポリスが建設されました。そして、西アジア全域を支配下に治めるまでになりました。

ペルセポリスの遺跡には、当時の周辺民族が王に貢物をささげる行列を描いた「朝貢図」があります。この中に、絨毯らしきものを担ぐ図があり、パジリークの絨毯の発掘とともに当時既に高級な絨毯が制作されていただろうと思われます。この時代が歴史的にペルシャ絨毯の資料的にたどることのできる起源とされています。

産地

ペルシャ絨毯の産地ごとに独特な伝統的な模様や制作技術が伝わっています。
タクテジャムシッドカーペットギャラリーでは、数ある産地の中から5つの主要な絨毯産地を中心に、各産地の絨毯の特徴やその歴史に至るまでご紹介しています。